洋楽ミュージシャンのカナ表記問題のこと

昔からある「洋楽のミュージシャンの名義や曲名の日本での表記カタカナ」問題。
ROUGH TRADEから1986年に1stアルバムをリリースしたThe Woodentops、1stでのカナ名義は「ウッデントップス」だったのに2ndでは「ウドゥントップス」。2ndの方が現地の発音に近いからということですが、そういう方針を「正」だとすると「OASIS=オアシス」問題が発生し、同時期の「RADIOHEAD=レディオヘッド」とどっちが正解なんだという話になりますし、ミュージック・マガジンのようにレーベル側が付けたカナ名をおよそ無視して「ピーター・ゲイブリエル」と頑なに表記するとこもあったりとか。

それでも当時は「何だよこの表記」とか思いつつ、レコードやCDからカセットにダブる時カセットレーベルに曲名を英語で書き、タイトルも英語でレタリングを頑張れば済んでいた問題だったのが。

現在非常に厄介なのが、サブスクサービスでのミュージシャンと楽曲の表記のカナなのか英語なのかどっちなんだ問題。
要するに邦洋の差だけでなく、洋楽のミュージシャンの中で表記がカナだったり英語だったり入り乱れているわけで。
レコード・CD時代から邦楽ミュージシャンの英語表記は普通に英語表記なわけで、それだけでも十分に理不尽なのが、洋楽ミュージシャンの表記がそんな入り乱れているせいで、もう正直わけがわからない。

私はApple Musicですが、それでグローバルチャートを見てみるとこんな感じ。

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曲名までカナ表記なのは「ドレイク」だけなのですが、ミュージシャン名義はややカナ優勢。
この並び見ていて何となくの仮説なのですが、「日本ではメジャーレーベルが権利を持っている」人達についてはおよそカナ表記になっているのではないかと。
カリードはColumbia=ソニー、ビリー・アイリッシュはInterscope=ユニヴァーサル、一方Marshmelloは全部自身のレーベルからのリリースで日本のレーベルがリリースの権利を持っていないため英語表記。
でもKardi Bはワーナーから日本盤CDもリリースされているけど英語表記のままだし、やっぱりよくわからない。
それでも、とりあえず「カナ表記」になっているものについては、レコード時代からの日本のレコード会社の風習がダラダラ残っているためであろう、ということは想像できます。

もう洋楽邦楽入り乱れる世の中なのだから、その風習何とかしろよ、と思うのですが、サブスクへの移行のモタモタさ加減や前に言った「日本のCDアルバム11曲入り多すぎ」問題も含めて、日本のレコード会社は面白いくらい保守的なので、もう如何ともし難いのでしょう。

でも、英語表記をどうしてもカナに開きたいのなら、邦楽ミュージシャンも全部カナ表記に揃えるべき。それでこそ平等。「アイコ」「ダオコ」「ワニマ」「キング・ヌー」「エメ」「オフィシャル髭男ディズム」「ワン・オク・ロック」「[アレキサンドロス]」。地獄だな。

Maison book girl@人見記念講堂のライブのこと

フィロのスのことを書いた時に「実力のアップに伴い人気も確実に上がっている感じがするのが、Maison book girlとフィロソフィーのダンスの2組」と書いたのですが、Maison book girlの方は2016年に下北沢シェルターで3776とトリプルファイヤーとの3マンという謎の企画で初めて観て、それ以降はフェス的なところで数回観た限りでワンマンは観たことがなかったので、そして周囲からは「ヤバい」という声も聞こえてきたため、これは外せないという気持ちで三軒茶屋へ。

結論。これはすごい。
フィロのスがどこまでも自由でファンな空気をみしみし発信することで場を操っているとすれば、その真逆。一貫した美意識に貫かれたその世界観で圧倒してくる。
彼女たちの楽曲はメロディもアレンジもものすごく緻密に計算され、歌詞も独特の世界観で完全に制御されたものばかりで。一方ライブ中絶えず映される映像はその逆で、泡や雫のうごめく様であるとか色を水に流してみるとかの偶発性の高いものや、ステージ上の彼女たちを撮影してそれをリアルタイムで加工したものとか。

計算されたダンスを踊り制御された歌詞を歌うのだけど、生身の人間である以上そこにどうしても偶発性やリアルタイム性はあるわけで、完璧にコントロールされた楽曲と、偶発性やリアルタイム性の高い演出の狭間で、彼女たちはその合間を行き来する。そして抑制された空気でできあがった世界の中で、それでも時折どうしようもなく発せられる彼女たちのエモーションがとても美しいのです。

だからこんな広い会場で生バンドでもなかったのだけど、それはすごく正解だと思って。生バンドが演奏でエモーション垂れ流してしまったら、彼女たちのそれが見えなくなってしまうから。
ものすごい絶妙なバランスの上で成り立っている、彼女たちと楽曲と演出とそれら全てでひとつの表現・作品と言ってしまっていい状態。大きな生き物を観ている心地。

それでも最後に照明のバトンを敢えて下げ、「入力ソース:映像信号が入力されていません」とは表示されているけれど、よく見たらシングルリリースとツアーの告知になっているブルースクリーンを映した状態、まるでライブの準備中のような景色で終了というのは「まだ完成してない」ということの意思表示と受け取りました。

2016年にシェルターで観た彼女たちからは「何かをやろうとしている意志」は感じたのだけど、結局このスケールでできるようになってそれがようやっと形になりつつあるということなのでしょうか。そしてこれでも完成ではないということは、ここからどう進化しようと目論んでいるのか。
これ、今の日本中のコンテンツの中でも相当おもしろいブツですよ。

オリコンチャートの「立ち位置」のこと

柴 那典さんがTwitterで紹介していたこの記事がやたらおもしろい。これは連載の一部で全体も滅茶苦茶興味深いのだけど。

アメリカ音楽の新しい地図 4.音楽メディアとランキング・システム

「ビルボード誌が一貫してレコード会社やミュージシャン側ではなく、リスナーあるいはそのカルチャーを受容するコミュニティーにもとづいてポピュラリティーを計測しようとしていた」。
それ故にブラックミュージックのチャートの存在の意味がねじれていく様の「なるほど」感。

そしてこの「もとづく」部分の差異がビルボードチャートと日本のオリコンチャートとの決定的な違いになっていると思いました。そしてその違いこそが、オリコンが配信・サブスクをチャートに反映する対応が遅かったひとつの理由になるのではないかと。

ビルボードが2005年からダウンロードを、2007年にはストリーミングもそのチャートを算出するための材料とし始めたのと比較するとオリコンチャートはとんでもなく遅く、ようやく昨年12月からダウンロード・サブスクでの聴取もカウントした「合算チャート」を開始しました。しかし一方従来のCD・レコードの売上のみのチャートも引き続き発表しています。
このアクションの遅さやCDチャートを廃止しないでいる姿勢についてはよくわからなかったのですが、今回ようやく「オリコンはそもそもレコード会社関係者や芸能事務所等に向けた業界誌である」という点にその根本があるのではないかと思うに至りました。

一般誌としてのオリコンは1979年に「オリコン全国ヒット速報」として創刊され、方針やタイトルを変えながら出版を続けたものの、2016年4月に終刊。一方業界誌としての「コンフィデンス」は1967年に「総合芸能市場調査」として創刊し、現在も発行を続けています。

レコードレーベルの人や音楽関係者向けに発信している以上、外圧に押される形で日本でのサービスが開始され、その収益率的にレーベルの本意ではなかったダウンロードやサブスクリプションのサービスに乗っかることは、オリコンの向いている方向がそっちだからこそ非常に難しく、ようやく日本発のサブスクリプションサービスも開始され、流れがどうやっても不可逆なことが誰の目にも明らかになったタイミングでやっとそっちに舵を切った。
それでも「連続記録」とか、いまだにサブスクに提供したくないミュージシャンの存在や、いろいろレーベルとの過去からの関係性もあって、合算チャートに一本化はせずにCDチャートも残している。そうしたい人は合算チャート見ないことにして「今作もオリコン1位!」って言えばいいわけですから。

言うてもネットの前からビルボードのHOT100はラジオプレイも込みだった一方、オリコンは円盤カセットの売上枚数に徹していたので、その頃から今の差異に近いものはあったわけで。
で、その徹した姿勢がPOSによる集計を発達させ、POSで得た販売履歴情報の解析によって卸から各販売店への提案等もしやすくなったという側面もあり、それがCDの全盛期の一翼を支えていたとも言えるので、一概に悪いことでもなく。

とはいえ、今こういう世の中でこういうチャートがどこまで有効なのか、というのも微妙になってきて。
たとえば去年のヒットで言えば、「一番CDが売れた曲」はAKB48で、「一番メディアで紹介された曲」はDA PUMPで、「一番聴かれた曲」は米津玄師で、それらを直接的に並べて序列を付ける意味はあんまりないと思います。

正味「音楽チャート」自体の行方がわからなくなってきていて、でも今週のチャートが発表されたらやっぱり見ちゃって何となくわかった気になって。それはもう自分が古い人間だからかもしれない。

今年のWORLD HAPPINESSのこと

昨年は開催を見送ったWORLD HAPPINESS、3月下旬に「開催します」というアナウンスだけ出ていて「どこでやるんだろうか」ということを考えていました。

2016年までの開催地だった新木場夢の島公園はオリンピック関連の工事のために閉鎖されてしまい、一昨年は葛西臨海公園で行われたのですが、とんでもない猛暑日にほぼどこにも逃げ場のない会場での開催となり、冗談抜きで「死の恐怖」を覚える状況となりました。
演者もオーディエンスも他より年寄りが多めのフェスなので、これ何とか屋内開催とかできないものだろうか、と思っていたのです。年寄り多めで屋内開催椅子付きの「いとうせいこうフェス」なんかもあったりしたので。

そして本日開催場所発表。青森県八戸市
行く気まんまんだったのにそれはキツいぜ感はありますが、でも考えてみればみるほど合理的な判断に思えて、文句の付けようがなくて困ります。

屋内開催は首都圏では相当困難です。土日にアリーナクラスの箱を押さえるのはもう何年も前から至難の技ですし。でも屋外でまた一昨年みたいなことになれば下手すると本当に人死にが出ます。
だったら地方の屋内で、というのは考え方としてアリですし、このYSアリーナ八戸はこのWORLD HAPPINESSを竣工記念行事としていて、八戸市ともがっつり組んで大々的に行われるようで、となると自分たちのみで行う以上にプロモーションは捗ります。
その分だけで、首都圏開催ではないが故の集客をカバーできるとは思えませんが、それでも「首都圏屋内開催は無理」ということを前提にしてのセカンド・ベストではあるとは思うのです。

まだただの想像ですが、いわばこけら落としで「そこそこ程度の客入り」というのもどうかと思いますし、これ地方開催の集客力をカバーできるレベルの大物を既に押さえているのではないか、という気がしています。
大物といってもいきなりジャニーズとか出るはずもなく、ここらへんの人脈界隈で考えられる大物ってある程度限られますので、そこらへんをぼんやり考えるうちに、だったらそれはそこまで行くのもアリなのではとか思うに至っている。
今のうちから宿を押さえるのか、どうか。ちょっと考え中。また散財するのか。止むを得ない。

フィロソフィーのダンス「エクセルシオール」のこと

4月5日、3月22日から延期になっていたフィロのスの3rdアルバム「エクセルシオール」ようやく発売。

何となくアイドル界隈を継続して眺めていると、今は全体的な空気感としては停滞気味で、中堅どころのアイドルグループはバタバタ潰れていくし、当初は「目標は日本武道館!」と言って1000-2000人くらいの動員までは持っていけていたグループの次のワンマンは600人の箱だったり、そんな感じではあるのですが、そういう中にも明らかに伸びているグループもありまして。
BiSHやGANG PARADEのWACK界隈はまあそうですが、実力のアップに伴い人気も確実に上がっている感じがするのが、Maison book girlとフィロソフィーのダンスの2組です。

Maison book girlはアルバム「yume」が全体的な構成としてエラいことになっていて、ライブも前回のワンマンは観られなかったもののあちこちで絶賛されていたので、14日の人見記念講堂に確認しに行ってきます。
フィロソフィーのダンスの方は、ちょいちょいライブは行っていて、そのライブの間違いなさは知っていますし、結構な頻度で投下される新曲も総じて良曲で。ここらへんの楽曲が次のアルバムでまとまるのなら、相当なことになるだろうなあと思っていたら、想像以上に相当なことになりました。

以前は曲調等に「実験」的なところもありましたが、今作はある程度下敷きになっている曲調は60年代から最近まで幅はあるもののソウル・ファンクからモダンR&Bの中に収めてきていて、全体的な音楽的な一貫性は完璧。そして、あれだけ名曲たくさん入ってると思った前作を軽く凌駕してきますから、各曲の出来もおよそ完璧。

ライブでは何度か観ていたものの、配信買ってなくて今回音源で初めて聴いた「バイタル・テンプテージョン」の感想は「あれ、こんなにトラック音薄かったっけ…」。ステージ上で4人の声とか、そのパフォーマンスとかでいろいろ気持ち的にアガるものがあったのだろうか。
そういうのも、ここそこにあり、要するに名曲揃いですが、生で聴くともっとすげえということです。

年齢非公表ですが、佇まいからも他のアイドルグループより相当にお姉さんであることは間違いなく、大人のアイドルとして、エンターテイナーとして生きていく覚悟が四者四様にあるグループなので、ステージにぶち込まれる技術も熱量も、正直他の若いグループとは比較になりません。

たとえば「今までアイドルのライブって観たことないんだけど、初めて観るならどれがいい?」と問われれば、今は100%フィロのス推せます。
実際、初めて彼女たちを観た周囲の人間、それなりにいろんな音楽聴いている人が総じて転んでいるので、まあそういうことなんですよ。

でも、もっと広い世間的に「あ、何か人気出てきたっぽい」が体感できたのは確実にこのハロウィンイベント以降。
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こういうことをここまできちんとできるのは本当に強いと思う。

こういうサービス精神ですから、特典会の接触イベントも四者四様の神対応らしいのですが、そっちは自分は行かないので。
周りのリアクションでは間違いないと思うんだけど、私は以前から申し上げている通り、接触イベントでハマると恐らく全財産ぶち込む勢いになる性格ですので、行きません。ダメ、絶対。

集団行動「SUPER MUSIC」のこと

集団行動の3rdアルバム「SUPER MUSIC」がリリースされたので聴いてみました。

初めて相対性理論を聴いた時の衝撃は、いろんな音楽聴いてきた中でも相当に上の方でした。フックだらけのメロディーにフックだらけではあるけれど何の意味もない歌詞。「何なんこれ」という言葉しか出てこない、極めて言語化しにくいのに音楽としてひたすらポップでひたすらユニークな。
ただ、メンバーのインタビューではメンバー全員で作詞作曲しているという声はあるものの、真部&西浦脱退後の相対性理論は少なくとも自分の中では以前ほど面白くなくなったのは間違いなくて。

その真部&西浦が集団行動としてデビュー音源出してきた時は、大変にクオリティー高いことはわかるし、相対性理論と同じことやってても仕方ないしなあという気持ちはあっても、何かどっか「もうちょっとこう、どうにかならんもんか」と思う部分もあり。

それが今回、アルバムから先行でYouTubeにリリックビデオが公開された「ザ・クレーター」を見た時、ようやく「これこれ、そういうの」と思える音が出てきたと、それはそれは嬉しかったものですが、アルバムを通して聴いてみると、また全体的なトーンはその感覚とは異なっていて、でも今度はむしろいい方に。

「テレビジョン」は80年代の日本のテクノポップとか、「皇居ランナー」はハードロックとか、今回の収録曲の相当には「テーマ」的なものを設定して作られているような気がするんですけど、そういうところが見えつつも、でも結局はどんどんそこから逸脱していってしまう、その様が途轍もなく面白い。
で、そういう作りなのでアルバム全体がこれまでになく音楽として豊かで、でもただ「バラエティに富んだ」だけならアルバムとしてどうよ、ということになるのですが、彼らの場合はこのメロディーと歌詞があれば何をどうやっても一貫性は出てきてしまうので問題なし。
齋藤さんのヴォーカルもどんどん「入れる」ところと「抜く」ところの勘所がシャープになってきてすごくいい。こんな歌詞ですからすごい歌唱力でエモーショナルに歌い上げるとただの馬鹿にしかならないわけですが、それでも曲毎の表情の差異であるとか、メロディのフックに寄り添うような感じとか、なかなか気持ちのよい感じになっていて。

去年の5月にライブ観たときは、正直「これなら音源聴いてりゃいいかな(齋藤さんのご尊顔を拝めること以外)」と思ったのですが、これ是非またライブ観たくなってきました。

Pet Shop Boys@日本武道館のライブのこと

4月1日はPet Shop Boys来日公演@日本武道館。
お前何でそんな新年度初日にライブぶち込んでくるねんと思いつつ、サマソニで観たきり、単独来日は19年ぶりですから、相当無理してでも行く。

というか、日本武道館の4月上旬はだいたい大学の入学式に占拠されるのに、何で興行で押さえられたのか正直意味がわかりません。

04/01:Pet Shop Boysライブ
04/02:東京電機大学入学式
04/03:法政大学入学式
04/04:帝京大学入学式
04/05:専修大学入学式
04/06:東洋大学入学式
04/07:明治大学入学式
04/08:日本大学入学式
04/09:東京理科大学入学式
04/10:John Mayerライブ
04/11:John Mayerライブ
04/12:東京大学入学式
04/13:Eric Claptonライブ
04/14:
04/15:Eric Claptonライブ
04/16:
04/17:Eric Claptonライブ
04/18:Eric Claptonライブ
04/19:浜田麻里ライブ
04/20:Eric Claptonライブ

ライブの主催は全部ウドー。無理しっぱなしです。と思ったら2016年にも4月1日にTedeschi Trucks Band、入学式ラッシュの後はクラプトンという、ほぼ同じことをしていました。
でも今年、入学式よりもおかしな位置にいるのが浜田麻里だと思います。


で、Pet Shop Boys。
一応最新作「SUPER」のワールドツアーの一環ということなのですが、それ2016年のアルバムであってワールドツアーとしても一旦2017年には落ち着いたはずで、正味今回何かよくわからん位置付けではあるのですが、シンガポール・香港・東京・大阪のアジアツアーとして。

で、一応最初は「SUPER」の曲から始まるのですが、2曲目でいきなり「Oppotunities」が来たことでおよその構成が想像できました。
だいたいその想像通り、新しめの曲をやっては過去のヒット曲やって、みたいな感じで進み、結果としては先にリリースされたライブアルバム「Inner Sanctum」に近い構成でした。まあ、そのツアーの一環ですから。相当に映像や演出は凝っていましたので、あんまり差し替えることもできんでしょうし。

それでも35年のキャリアで彼らが我々に見せてきた、歌えるPet Shop Boys、踊れるPet Shop Boys、聴かせるPet Shop Boys、泣けるPet Shop Boys、考えさせられるPet Shop Boys、様々な側面を1時間半強の中にここまで凝縮してくるわけですから、やっぱ生半可なショーじゃありません。円熟や枯れた味わいなどクソほどもないパッキパキの現役感。圧倒的にやられたうえで終わりました。
「Go West」の「もうこれで本編終わるわ」感がハンパないこと、そしてアンコール最終曲としてその「アげ」力が「Go West」に匹敵するのは「Always On My Mind」だな、ということもよくわかりました。

終演後、仲間7人でもって中華屋でギューギューに詰めて行われた勝手反省会ではやはり当然のように「Suburbia」やってねえ、「Rent」聴きたかった、「It's Alright」はどうした、みたいな話になり、そのキャリアのエゲツなさを改めて思い知った次第です。

でも死ぬまでに彼らにもう一度演ってほしいのは、そしてそれを聴きたいのは、1994年のワールドツアーのうち5会場でのみプレイしたBlurの「Girls And Boys」のカバーです。
1995年にリリースされたシングル「Paninaro '95」のカップリングと、B面集「Alternative」の日本盤ボーナストラックとしてそのライブ音源がリリースされているのですが、それはそれは頭がおかしく素敵なヴァージョンです。
というか、Pet Shop Boysは誰かの曲をカバーする際には、まあ実際「Go West」も「Always On My Mind」もそうですし、だいたい親の仇のように扱っていてどれも大変に楽しいのでお勧めです。

こういうのも。

この春の「失敗フェス」のこと

この週末、スペシャ主催のLIVEHOLIC EXTRA、TSUTAYAのツタロックという2つのフェスがほぼ並行して幕張で開催されていたのですが、どっちが勝ったとかではなく両方とも動員としては辛いことになっていたという報が入ってまいりました。

LIVEHOLIC EXTRA
ツタロック

それぞれ、かなり「強い」メンツは引っ張ってきてるとは思うんですよ。
ただ、強いバンドってそれなりに数は限られているので、どうしても集めるとなると集合体としては似た印象になりますし、似ているのであればゴールデンウイークにはこれまでの開催で実績のあるVIVA LA ROCKもJAPAN JAMもあるわけで、そりゃそっちの方に行きます。
で、それらの実績あるフェスですら現状即完でチケットが捌けるような状況でもなく、かなりのプロモーションを行ったうえで何とかそれなりの動員を上げているというところで。

現状この世で開催されているフェス。既に長い歴史と実績のあるもの、新しくはあるものの主催がミュージシャンと深い繋がりがあるが故に信頼性を持ちえたもの、そしてミュージシャン自身が主催となっているもの。
特に首都圏はそれらの「信頼ある」フェスだけでも相当な数になります。正直既に「供給過多」レベルで。そこに何で「よさげなの集めました」程度の、何の信頼性のないのが入り込んできて大盛況にできると思ったのか。

そもそも「フェス属性」のある人間の数自体限られています。その属性がある人にも可処分所得の上限があります。という単純なことを今回このフェスをやろうと考えた人は気付いていなかったんかと思います。
私は衣食住の基本以外のほぼ全ての可処分所得を音楽にぶち込んでいますが、今回の2フェスのメンツ見て少しでも心動いたのは「さや姉生で観られるの悪くないなあ」くらいですし、そのために1万円近い金額と丸1日を供するほどお金持ちでもないし時間に余裕があるわけでもありません。5月にVIVA LA ROCKに行くので、そっちに何万円もかけるのに、似たようなメンツを3月に観ようとはさすがに思えない。
出演するバンドもメンツとしては屈強ではありますが差別化ポイントは見えず、「ああ、これならビバラでいいわ」と思うわけです。

で、出演するそれぞれ各バンドの大ファンの人もフェス全通するほどの人は相当に限られますし、大半はワンマンの方に物販含めて可処分所得をかけますし。
バンドの質とか運営のホスピタリティとかではなく、そもそもそれ以前の企画のところでいろいろクリアできていなかったということではないかなあと。

ただ、かつてLIVE STANDとかGO FES!とか第1回JAPAN JAM等に参加してきた身として言いたいのは、失敗フェスというのは観客にとっては相当に素晴らしい環境であるいうことです。
入場並ばない。ご飯やお酒買うの並ばない。トイレ並ばない。物販並ばない。座りたいときすぐに席が取れる。ギリギリにステージに行ってもいい位置で観られる。最高なんですよ。
なので、窮屈は嫌だ、でもフェスには行ってみたいという方は、これからもうっかり開催されるでありましょう実績無さげな新フェスに敢えてぶっ込んでみるのも手だと思います。
ただ、あんまりすぎて開演前に中止が決まって払い戻し超面倒、みたいなこともたまにありますので要注意だ。

<補足>
ツタロックは言うほど悲惨でもなかったという報が新たに。ただ、パンク・ラウド系目当ての人が多すぎて、それ以外のバンドがやや辛げだったという話も。
「どういう層の顧客を呼ぶか」というのはなかなかバランス難しいのですが、でも結局パンク・ラウド系は確実に動員見込めるのでそこ頼みになってしまうきらいはあり、そうなるとますます他の層にとっては「差別化できてない」ように見えてしまうという蛸壺感。

DOMMUNEとバイキングのこと

今日の「バイキング」のDOMMUNEの件もそうだし、その他のワイドショー系の番組で、ああいう「知らないことを当然のこととしてその知らないことを批判的に語る」の、やっぱり見ていて大変にしんどいのですが、そもそも考えてみれば、ワイドショーのコメンテーターのだいたいは何の専門家でもないタレントで、それが犯罪心理だの社会問題だのをその時の印象のみで語ってるわけで、今のああいう番組の形が出来上がってからこっち、およそ全てにおいてそういう感じだったんだな。それしんどいわ。

でもここ何年かで池上彰とか林修のようにいろんなことを「知ってる」体の人が表に出てくるようになってから、それ以外のテレビ出演者が「知らないのが当然」で振る舞う風潮はより顕著になってきているような気がします。


今回の電気5時間に際してのDOMMUNEの文章。

回収反対派の動きにもレーベル側の判断・回収やむなし派にも等しく敬意を払いつつ、でもどちらの壁の中にも入らない状態でできることがこれだった。
自分はだいたいこういう場合どっちにも付けずにいる派なので、この落としどころが素晴らしく愛おしく頼もしく感じられて。


絶対に「知っている」方が「知らない」よりいいに決まっています。役に立つことも、立たないことも。
回収反対で回収撤回に向けての動きをされている方も、コンプライアンスや対応コストを考えて回収やむなしと考える方も、電気グルーヴのこと、DOMMUNEのこと、それぞれの立場でのその他のこと、「知っている」ことがあるから、そのように考えられたり動けたりするとのだと思います。
どちらにせよ「知らない」よりずっといい。なので回収反対派と回収やむなし派は、お互いの意識を全否定はしないでいただきたいと思います。
さらに外に「無知」という共通の大敵がいるのに、中の狭いところで壁を作って対立するのって何か、違うじゃないですか。だから、何とか、何とか。


とりあえず、坂上忍は「I Was Born To Love You」5時間リピートの刑。

最近のHMVのこと

最近タワーレコードか新星堂の話しかしないのでたまにはHMVの話もしようと思いました。

まずは国分寺の店の閉店

HMV単独名義での新店舗は、既に閉店してしまったHMV広島本通(2014年開店、2017年閉店)のオープン以降なく、HMV&BOOKSという複合書店形式かHMV record shopというアナログ特化型だったのですが、国分寺のこの店舗はhmv BOOKS store名義、完全に書店に寄せた業態であり、行ってみたらCD/DVDの取り扱いはレジ近くの小さな棚ひとつ分だけという、なかなか割り切った感じでビビりました。それがオープンからものの1年で閉店と相成ったわけですが。
ただ、この閉店の場合は「そういう業態がダメなんだよ!」と一掃できない事情があります。これ。

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1年でこれだけテナント入れ替わっているわけです。見に行った時にはさらにもう1店閉店セール中。要するにこのミーツ国分寺という施設そのものの集客力に問題があるということで。
ミーツ国分寺は国分寺駅北口の再開発でオープンしたのですが、元々南口には9階丸ごと商業施設の駅ビルがあってそっちでだいたい揃うのに、何で後からさして店の数も多くない4階分の商業施設出してきたのか、そもそもわからないのですが。


HMV新宿は、元々新宿駅の駅ビル内に大きな床面積で展開していましたが徐々に床面積が削られ、先日までは6階の片隅でコンビニ以下の床面積でひっそりと営業していました。それがいきなりB1の地下道の途中に垂直移転、こちらはHMV&BOOKS SPOTという名義で3月7日に営業を始めました。

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「HMV SPOT」という名義では、表参道にコンビニとの合同店舗を出したり実験をしていたのですが、結局今も生き残っているのは大阪・あべのキューズモールの店舗のみ。
笑うくらい小さな店舗ですが、駅と地下街直通という場所ではありますので、明確に好きなミュージシャンがいて予約して購入するような方であれば、ビルの上の方に行かなくてもピックアップできるため、それなりの利便性で今も生き残っているのではないでしょうか。
今回の新宿の店もその知見を踏まえて、正味6階にあったとき以下の床面積ですが、そういう利便性でもって生き残りを図ろうとしているのではないかと思います。


去年の3月にできたHMV & BOOKS HIBIYA COTTAGE。HMV&BOOKS業態の中でも「女性向け」を謳った店舗です。
日比谷・有楽町界隈の書店は、有楽町駅前に三省堂、霞ヶ関寄りにジュンク堂、銀座の方には銀座 蔦屋書店。何とかして特徴をアピールしないことには生きていけない地域です。
で、書店として完全にそっちに寄せた結果、店舗全体の床面積の1割程度にしかならんCD/DVDエリアも、場所柄演劇や映画系厚め、あとは売れ線と子供向けと特集の棚で小規模にシティポップスを展開する程度という感じで。
HMVと聞いて総合ショップを期待して行くと大幅に肩透かしを食らいますが、生き残るためには仕方がない。
ただ、日比谷・有楽町界隈で新譜CDを購入できる店は実はここだけで、銀座にも今や山野楽器本店しかありません。銀座 蔦屋書店は、日本刀は売っていてもCDは売っていません
要するにこの日本有数のハイソ地域にはもうほとんどCD/DVDの需要はないということです。外国人客も非常に多いですし、わからんでもない。


「今CDが売れるジャンル」に絞って注力し始めたタワーレコード、RIZAPに買われて少しずつ店舗数が削られていく新星堂、BtoCからBtoBに舵を切ろうとしているTSUTAYA、総合リサイクルの大規模店舗に活路を見出そうとしているGEO。

HMVはそれらに比べると大きな動きというのはないのですが、アナログに寄せ、書店に寄せ、かつその書店としても地域性に合わせ、利便性を上げ、と、細かいチューニングによって当面のところを乗り越えようとしている感じがします。ただ、その先に何があるのかというと、今のところは「延命」でしかないのはタワーレコードと同じ。

一方、ここ数年CD/DVD販売についてはほとんど動きのない山野楽器は、楽器や教室が堅調なんだろうと思いますが、やっぱ屈強な「コト消費」持ってると強いわ。